日本でデビューしたダンク王!NBAジャパンゲームズでNBAデビューした選手一覧!過去のジャパンゲームズを振り返る。Part 4

History

3年ぶりにNBAジャパンゲームズが開催されることが発表されました。ステフィン・カリー率いるゴールデンステート・ウォリアーズと八村塁が所属するワシントン・ウィザーズが対戦するプレシーズンゲーム2試合が、2022年9月30日(金)と10月2日(日)に「さいたまスーパーアリーナ」で実施されます。
この記事では、8回目となるNBAジャパンゲームズの歴史を振り返ります。
前回の記事は通算記録を振り返ったものでしたが、この記事では日本の地でデビューしたNBA選手を振り返ります。オールスター選手だけではなく、なんとダンク王まで含まれています。
※2019年はプレシーズンマッチのため、記録からは除外しています。
※動画でご覧になりたい方はこちら。

1990年デビュー組

1人目はイアン・ロックハート。
ドラフト外でサンズと契約し、日本でデビューして2分間だけプレイしました。そしてそれがNBAでの唯一のキャリアとなりました。その後ヨーロッパ、プエルトリコで活躍し、2000年にはプエルトリコリーグMVPに輝いています。

2人目は目隠しダンクで有名なセドリック・セバロス。
1990年ドラフト2巡目48位で指名を受けたセバロスはサンズ、レイカーズで活躍し、1992年には目隠しダンクでダンクコンテストを制しています。その後移籍したレイカーズではオールスターにも選出される等、息の長い活躍で11シーズン、609試合に出場しています。

3人目はウォルター・パーマー。
1990年ドラフト2巡目33位指名を受けたパーマーは、ジャズとマーベリックスで通算48試合プレイし、その後はヨーロッパや南アフリカでプレイしました。その後、選手の組合活動に従事しました。

4人目はアンディ・トゥールソン。
90年にドラフト外でジャズと契約し、スターター15試合を含む47試合に出場。その後イタリアやスペインリーグに渡り、スペインリーグでは2年連続オールスターに選出されています。
その後、95年に再びジャズに戻り、13試合に出場後、再びヨーロッパに渡っています。

5人目はクリス・ムンク。
ドラフト外でジャズと契約したムンクは、この年11試合の出場のみのNBAキャリアとなっています。1995年にはオーストラリアに渡り、ブリスベン・ブレッツでもプレイしています。比江島慎が所属したチームですね。

1992年デビュー組

1992年唯一のデビュー組にして、6人目はロバート・オーリー。
1992年ドラフト1巡目11位指名を受けたオーリーは、ビッグショット・ロブとして、ロケッツ時代に二度、レイカーズ時代に三度、スパーズ時代に二度優勝し、合計7つのチャンピオンリングを手にしています。
ハイライトになるようなビッグショットを数多く決めたオーリーは3つのチームで優勝していますが、これはオーリー以外にはジョン・サリー、ダニー・グリーン、レブロン・ジェームズの僅か3人しか達成していない快記録となります。
NBA通算でも1,000試合を超え、記憶にも記録にも残る選手でした。

1994年デビュー組

1994年デビュー組にして、7人目はアーロン・マッキー。
1994年ドラフト1巡目17位指名を受けたマッキーは、各チームでディフェンス力のある控え選手として活躍し、2000-01シーズンにシクサーズで能力が開花。チームはNBAファイナルまで進出し、マッキー自身もシックススマン賞を受賞しました。
NBA通算でも13シーズン、793試合に出場したマッキーは、まさしくどこでも欲しがる選手だったのでしょう。

8人目はマット・フィッシュ。
1992年ドラフト2巡目50位指名を受けたフィッシュは、独立リーグで経験を積み、1994年にNBAデビュー。3年間で50試合に出場しています。
1992年に2巡目指名された27人のうち、4年以上NBAでプレイできた選手は僅か6人だけと、複数年NBAで生き残るのがどれだけ難しいかを示しています。

9人目はラモンド・マレー。
大学時代はジェイソン・キッドと共にプレーし、1994年ドラフト1巡目7位指名を受けたマレーは、主力選手としてクリッパーズ、キャバリアーズで活躍し、11シーズンで736試合出場、1試合平均11.3得点を記録しました。晩年は中国で3年、バーレーンで2年プレイするなど、アジア圏でプレイしました。

10人目はエリック・パイカウスキー。
1994年ドラフト1巡目15位指名を受けたパイカウスキーは、3PTシューターとしてNBAで活躍。とりわけ、クリッパーズではデビューから9シーズンプレイし、当時多くのフランチャイズ記録を打ち立てました。低迷期のクリッパーズを支えた彼は、14シーズンNBAでプレイしました。

1996年デビュー組

この年のマジックvsネッツ戦は実は開幕戦ではなく、両チーム開幕2戦目でした。そのため、NBAジャパンゲームズでデビューした選手はいませんでした。

1999年デビュー組

1999年唯一のデビュー組にして11人目はウォーリー・ザービアック。
1999年ドラフト1巡目6位指名を受けたザービアックは、ガーネットの相棒としてデビュー年から活躍。キャリア通算でも3P%が40.6%を記録するなど、抜群のシュート力を披露してオールスターにも選ばれました。度重なる怪我がなければ、もう数シーズンはプレイしていたであろう、怪我に泣かされたキャリアでした。

2003年デビュー組

2003年デビュー組にして12人目はクリス・ケイマン。
2003年ドラフト1巡目6位指名を受けたケイマンは、低迷期が続くクリッパーズで奮闘。2007-08シーズンには15.7得点、12.7リバウンド、2.8ブロックを記録するなど、主力としてクリッパーズを支えました。2010年にはオールスターにも選ばれ、13シーズンを戦い抜きました。

13人目はルーク・リドナー。
2003年ドラフト1巡目13位指名を受けたリドナーは、ソニックス、バックス、ウルブズなどで活躍。チームを優先した献身的なPGであり、所属する各チームでスターターとして起用され、NBAで長くプレイし続けました。

14人目はリッチー・フラーム。
独立リーグ、トルコでプレイした後、ドラフト外でソニックスと契約。シュート力を武器にしたフラームは6年間で140試合に出場。現役最終年の2010-11年シーズンは日本のアイシン・シーホースでプレイし、再び日本に戻ってきました。

今回はNBAジャパンゲームズでNBAデビューした選手を振り返ってみました。ダンク王からチャンピオンリング獲得者、オールスターなど、多くの一流選手が実は日本でデビューしていたのは意外だったのではないでしょうか?
今年のNBAジャパンゲームズが楽しみですね。

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